金曜日     仕組み小説
P1 平成23年1月7日(金)

 五前年に発表して第二部で中断した「闇と光」、それを仕組み小説と言うことには、かなりの抵抗があった。第一部は二十代に書いたもので、仕組みなどまったく知らない時代のものだし、それだけで完結したものでもあった。それを仕組みの流れの中で読み返してみると、仕組み前夜の求道がテーマになっていて、末尾の未来は、仕組さみに向かって開かれていたものであったことがわかってくる。
 そのことからその後の展開を、長編にして発展完成させてみたくなったのであった。仕組みが神界コースから物領賢者コースに引き継がれて方向が見失われたとき、若い世代のバックアップをすることと同時に、自分達の道筋の再確認をすることにせまられた。そうして「仕組み講座」が始められたのであるが、その初めの段階で、若い頃の小説を仕組みがらみにして書き継ぐ試みがなされたのだった。
 しかし、その試みは仕組みが進行していく過程で行き詰まってしまった。仕組みそのものに新体制と旧体制の違いがあったことと、小説は特別仕立ての色地獄三派の仕組みを先取りしたものであったため、中断せざるをえなくなったと考えられる。「闇と光」はライフワークのようにして生涯をかけて完成させたいという思いもあるので、色地獄三派の「エサ子精神病」の課題とは性質が違う。
 色地獄三派の小説の課題は三年間であるのに対して、「闇と光」は完成するまでに何年かかるかわからない。その意味では仕組み全体に対応したものとなるので、それを仕組み小説と呼んでもいいのかもしれない。以前にはそうした言い方はしなかったが、最近の文芸作品はそうした分類をしているようなので、それに従うことにした。
 今年から、光泉堂における佐田靖治の仕組みに関しては、物質世界とは違う三種類の世界が展開することになる。異次元と異界(異世界)と創作(想像、空想)というもので、そこにはそれぞれ違いがあるということを認識してもらわなくてはならない。
 世間一般で受け入れられているかどうかはわからないが、神仏や先祖方が住んでいる世界がある。そこを筆者は異次元と呼んでいるのであるが、そこには多次元の実体世界がある。それに対して人間の想像力によって創作する世界があるが、これは仮想世界で実体がない。そのほかにその両者をつなぐような中間的な世界があるように思われる。それを異界とか異世界というふうに筆者は分けて扱っている。
 火曜日の「異次元回廊」が実体のある異次元の世界であるとすれば、「闇と光」は完全な小説、つまり筆者の作り話であるに過ぎない。

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