月〜金曜日  異世界と先祖
平成23年7月22日(金)〜

 佐賀の殿様

 佐賀城は今では城跡しか残ってはいないが、その北側に旧別格官幣社の佐嘉神社があり、その神社にお参りをするといつも妙なことが起こる。佐嘉神社は佐賀城の城主であった鍋島直正命と直大命が祭られている。ところがここに私がお参りすると、違う神様がお出ましになるのである。
 はじめにお参りしたのが何時であるかはっきりしないが、そのときに神としてお出ましになり、佐賀城の初代の城主であるということを言われた。私はその方が神社のご祭神だとばかり考えていて、お城巡りでご挨拶に出向いたときも、県庁巡りのときも、護国神社巡りのときも、やはりそのお方がお出ましになる。ところが今年になって、神社庁神社巡りのついでにご挨拶にうかがうと、何かが変なのである。
 佐賀県に出向くときには、たいがい佐嘉神社にお参りすることにしていたので、そちらにご祭神とは違う城主の神がおられることを、私は常に意識させられていた。その方は縄文の流れを守り続けておられるということで、その方が本当のご祭神で、佐賀城の初代の殿様であるとばかり考えさせられていたのであった。
 そしてその方はたいがいの戦国の殿様と違って、格の高い神界の神であられたので、そこらあたりのことをお城巡りのエピソードとして取り上げさせていただく約束がしてあった。ところが徳川吉宗公やアーサー王などといった高名な殿様方が、仕組みがらみで活躍されるので、後回しになってどうしても紹介することができない。
 仕組みとは直接関係のない「ゴミ捨て場小説」とか、「仕組み小説」などというものを、色地獄三派がらみの課題にからめて書き始めたのを機会に、お人形グループにもご登場いただこうと、こうして取り上げ始めたのであるが、またまたおかしなことが起こり始めてしまう。神社からその縄文の殿様がいなくなってしまわれたのである。
 まさか狐狸妖怪だったのではあるまいに、ということで調べてみると、仕組みにからむ深い過去が現れてき始めた。
 佐嘉神社の殿様神は、縄文の古い先祖神であられるという。佐賀城の初代の城主であるといつも言われるので、それをそのまま受け止めていたのであるが、書くために正式に調べてみると、佐賀城には前身があるということがわかってきた。
 佐賀平野のほぼ中央に位置している佐賀城は、戦国期に西九州を支配した龍造寺氏の本拠地で、そこには村中城という古い城があった。龍造寺氏の後を受けて、重臣であった鍋島直茂が領主となり、村中城を整備拡張して城名を佐賀城としたという。
 その後十代の直正(開明君主と呼ばれている)のときに発展、十一代の直大のときに明治維新を迎えているという。そのお二方が城の北側の神社に祭られているわけであるが、それと同時にその土地の部族だった縄文の村主の先祖神も一緒に移ってこられたのだという。もともとは自分達の土地であり、祭祀場であったということで。その方が佐賀城のはじめの城主であると、私がお参りにいくと、鍋島氏を差し置いて必ずお出ましになるのであった。
 その方は佐田の仕組み働きのことをよく知っておられ、何らか待っておられる気配があった。立派な神様であられるので、なぜ宇宙の上に上がられないのですか、とお尋ねしても、土地のことが気がかりなので離れられない、とお答えになる。縄文の仕組みにお役目がおありになっていて、それが残されたままになっていることが理解できるお話であった。

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