金曜日   仕組み小説第三部「光を求めて」
P36 平成25年3月8日(金)

 内観法が効果を発揮したことは間違いなかった。感覚の異状はなくなりはしなかったが、以前のような乱れはなくなって、自分を眺めることができるようになっていた。そのことが精神的な落ち着きを生み出すことに繋がっていった。しかし、それで全てが解決したとはとても言えなかった。彼の感覚が仏教から神道へと移行し始めていたからであった。天谷鎮夫の影響でそうなったのか、葉子の思いが伝わってきていたのか、それとも自分の内部で変化が起こっているのか、そこらあたりはわからないままではあったけれども。
 手がかりを求めて弓彦は、近くにある高尾山に出掛けてみることにした。高尾山には近いこともあって、子供たちを連れてハイキングしたりしていたので、おおよそのことはわかっていた。そこは修験宗のお寺で、山の入り口に滝場、山門の横には神変堂の役小角が道先案内役、本堂には飯綱の天狗と薬師如来、その上の御本社には飯綱大権現が祭られていた。奥の院は不動堂とその上に浅間神社の祠が立っていた。
 ケーブルカーもあったが、彼は山道を登って本堂に至り、初めてお参りということをしてみた。天狗というものがよくわからなかったので、何の反応もなかったし、奥の院の不動堂にお参りしても何の感じもなかった。しかし、富士山に繋がる浅間神社にお参りしたとき、何かが動いた。見えたわけではなく、何かが感じられたのである。気配のような何かが。
 何だろう、この感覚は。初めての感覚だなあ。向こう側じゃないのか、こちらの内かこれは? 悪い感じじゃないが。富士山なのかな。ここではないのか。山上からは富士山が望めるけど、そちらかなあ。富士山に行きたくなってしまったじゃないか。何だろうなこれは。行かなきゃいけないのかなあ。ぜんぜん違うじゃないか。行者でもなければお寺でもない。神でもなければ神社でもない。山か?

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