金曜日   仕組み小説第三部「光を求めて」
P46 平成25年5月24日(金)

 彼の言には不信感を抱いたが、弓彦はそのことはそれ以上突っ込むことはやめて、彼の他の絵を見てみたが、おぞましい絵ばかりで、感覚が狂っているとしか思えなかった。とても自分の小説の挿絵には使えないと思ったが、とりあえず出版社に持ち込んでみるということで預かった。
「こういう絵しか描かないんですか?」
「みんなでキリストを呼び出してみようということになって、それからおかしくなった」
「どういうことですか?」
「突然みんながパニック状態になって、それぞれが国に帰ってしまったんだ。散り散りばらばらになったという感じだった。それからはもう駄目だな、本当のところは。だから出版社も受け入れてはくれないと思う。家業を継げばいいんだろうけど、まだなかなかふんぎりがつかなくて」
「あなたもですか」
「古い魚屋なんだ」
「いけませんか?」
「芸術家なんてみんなそんなもんだろう。ろくな者はいやしない」
「ご同様です」
 ろくな者でしかない者になってしまっている弓彦にしてみたところで、それは人事ではなかったが、だからといってそれならどうすればよかったというのだろう? ともかく自分の感覚の向かう所へ突き進むしか方法はないのだった。それから数日たって弓彦は芸大へ行って、狩野芳崖の悲母観音を見せてもらった。もちろん彼はその絵を知っていたが、それは画集の印刷されたものでしかなかった。実物にはまがいものとは違う何かがなくてはならないはずだった。
 この絵の中に入って行ったというのか? 確かに掛け軸の絵の中に入って行くとか、白昼夢のようなことを神仙道では言っているが、そんなことって本当にあるんだろうか? この前の絵描き崩れにしたって、ただの妄想でしかないのではないのかな。誰かが立ち会って芳崖の身体が消えるところを確認しているんだろうか? ちょっと信じられないな。現実逃避の思いが強いのかもな。自分だってそうなれたらどんなにいいかと思ったりしたものだが、およそ現実離れした妄想とか想像でしかなかったし。しかし入って行ったとするなら、なんで帰ってくるんだろう? こちらの世界よりいい世界なら、俺だったら帰ってきたりはしない。たいした世界ではないか、家族のことがあったりするからだろうか?

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