金曜日   仕組み小説第三部「光を求めて」
P48 平成25年6月7日(金)

 山の上には人がいた。若い男で、足慣らしに奥氷川の方から上がってきたのだと言う。そちらはかなり険しい山道と、奥氷川神社までの二時間ほどの道があるのだという。弓彦はそちらに降りる予定ではなかったけれども、川があって滝もあるという話を聞いて、そちらに行ってみようという気になった。そして険しい道を降り始めた。道は泥の細い山道で、木々がびっしり茂っていた。
 こちらは本格的な山道というわけか。へたをすると転げ落ちそうだ。登るのは大変だろうな。それでもなんだか楽しくなってきている。くだりだからかな。やっぱり俺は山歩きが好きなんだ。気持ちがいいのは森林浴の感じかもしれないけど、それで十分じゃないか。科学的な考え方の方が現代的だし、わかりやすい。たたりだの、怨霊だの、幽霊だの、訳のわからない鵺(ぬえ)なんてものに・・・・・、待てよ。鵺だ? それだ。あそこにいるのは鵺じゃないか?そんな気がしてきたぞ。怖いわけだ。
 急な坂を降りると、普通の山道になっていったが、小川が脇に流れていた。くだっているためだったのか、山に慣れてきたせいなのか、そちらの裏道ではほとんど怖いと感じることはなかった。今まで彼は鵺などというものがいるとは考えてみたこともなかったが、そういう思いが沸いてきたとき、もう彼は科学だけではすまなくなっている自分を感じるのだった。いくら否定しても否定しきれない何ものか、もうそれを受け入れるしかないという自覚を深めていったのだった。
 その覚悟ができ始めてからは、彼の山歩きはさらに楽になっていった。荒々しい海沢大滝を眺め、三ツ釜の滝の脇を降り、森林管理の車道に出てからは、のんびりと二時間をかけて奥多摩の町まで歩いていった。そして地図にある奥氷川神社にお参りしてから、電車に乗って家路についたのだった。なぜか神社に挨拶せずにはいられなくなっていた。祭神は素戔嗚尊、奇稲田姫命となっていた。
 神社に参拝しても何の反応もなかったけれども、彼は満足して電車に乗り、家路についたのだった。御岳山から大岳山の方はもうそれでけりがついた感じであったが、だからといってそれで彼の奥の感覚が納得したと言うわけではなかった。神仙道の道院よりも神道の神社の方に好感を抱いたことの確認はできたが、それで仏教感覚が消えたわけではなかった。岩間哲の問題は、仏教を抜きにしては考えられなかったからである。彼の感覚の奥には常に哲が隠れていて、精神が落ち着いてくると必ず湧いてくるように表に出てくるのだった。それをどうすればいいのかについては、依然として手がかりはつかめず、途方に暮れてしまうのだった。

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