金曜日   仕組み小説第二部「再出発」
P1 平成23年1月21日(金)

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「ねえ、あなた、私日本棋院の院生になってもいいかしら?」
 朝食を食べている弓彦に向かって、新妻の紀子が甘えるように言った。
「まだその思いが消えないわけ?」
「あなたには言っていませんでしたけど、父に教えてもらうようになって、かなりのレベルにはなっていると、元教授からも言われてはいます」
「へえ、それは知らなかった。短期間ですごいね」
「才能があるとも言われているし、女流は少ないから面白いかもしれないって、昨日も言われたばかり。家庭生活に悪影響が出るようなことにはしませんから、やってもいいでしょう?」
「もちろんいいけど、それにしてもさすがだね」
「ありがとう。優しいのね。一緒になってほんとによかった」
 影山弓彦と紀子(旧姓岩間)の新居は、都市郊外の新興住宅地にあるが、その新築の一戸建を二人が獲得するためには、いろいろな曲折があった。まず弓彦と紀子が結婚することからして、一波乱も二波乱もあったし、若い二人が独立した新築に住むためには、それなりの掛け引きや交渉が必要だった。当然のことではあるけれども。
 都市から緑が失われていくなかで、彼らの住宅周辺にはまだ自然が残っており、都市に生まれ育った紀子はともかく、自然の多い地方から都市に入ってきて窒息しかかっている弓彦にとっては、日常生活の場が自然がらみになっていることが、どうしても必要だった。新居の近くには気軽に登れる山があったし、魚釣りができる川もあった。もちろんそこで仕事をするわけではなく、都心に出勤する形になることはなっていたが、それでも彼の死にかかっていた精神にとっては、自然はどうしても必要な条件の一つではあったのだった。
 影山弓彦が岩間紀子と結婚するためには、彼が岩間家の古美術商店で働く、という前提がつけられていた。それは岩間家の二男であった哲を失った彼らの共通の思いが、弓彦を引き寄せる口実として使える材料になっていたからだった。長男の剛は家業の店を継ぐ形を取ってはいたが、本音は芸術をやりたがっており、家業の古美術商には気もそぞろといった状態だった。

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