月〜金曜日   公武合体 第二幕 (異次元革命)
P6 平成24年8月20日(月)〜

 そして法然阿弥陀如来の代わりに、弘法大師に増上寺における公武合体調整の、お立ち合いをお願いすることとなった。その形は弘法大師の罪滅ぼしの意味もあるので、各界に働きかけて、それを実現させていただいた。だから五回目以降は弘法大師は本体はコトシロヌシの弥勒、しかも菩薩から如来に身を上げてお出ましになっている。そのためには弘法大師もかなりの修行が必要であるという。それでも拒絶しないで頑張っておられる。これも仕組みのためにはやむを得ないことだと思っている。
 こうした調整をしていると、和宮に変化が現れた。徳川慶喜公が迎えに増上寺にお見えになったのであった。慶喜公に関しては、どこか別のお寺に菩提寺があるのではないかと思っていたのであるが、郷里の水戸光圀公のおられる常磐神社に帰っておられるということで、そちらから増上寺にお迎えに見えたのであった。
 それは思いがけない喜びで、和宮も大喜びされてさっそく水戸へ向かわれたのであった。そして三日三晩の祝宴会が開かれて、改めての婚儀が成立する運びとなっていったのであった。それから以降和宮は水戸でお暮しになっておられるが、筆者が明治神宮に参拝すると、いつも水戸からおそろいでお見えになられ、篤姫方と和やかな一時を過ごして帰られるとのことである。
 明治天皇百年祭とは逆行する流れではあったが、あれよあれよという感じでどんどん進んでいく。こちらはただお参りして回るだけのことでしかないのだけれども、天皇家の仕組み調整は、異次元レベルで整えられていく。その件に関しては、先に正常化をすませている護国系の先祖方が大喜びをして協力してくださっていることもあって、トントン拍子の運びとなって進んでいくのであった。
 七回目の巡回行の時であった。それは七月三日の火曜日のことであったけれども、上野の山に西郷隆盛公が、坂本龍馬と中岡慎太郎の両氏を連れて来られた。新しい動きが出始めたと筆者は喜んだのではあるが、坂本、中岡の両氏はビビっておられて、満足なご挨拶もままならない状態であった。以前の大らかな龍馬調とはえらい違いだと思わされたが、お人形として現地に残っていい思いをし続けていると、そういうことになってしまうという評価であった。
 そのまま勤王派の流れが大きくなるのかと思って期待していたのであるが、事はそれほどうまくは運ばなかった。十日ほど間があいての第八回目の時には、西郷さんが巡り循環して動物レベルに姿が変わっていたこともあって、坂本龍馬さんがチラチラするだけで、公武合体のやり直しの形は、必ずしもいい流れが出ているようには思えなかった。それよりどちらかと言えば、旧体制と新体制のにらみ合いが表面化し始めた感じであった。
 それとは別に増上寺では、貞恭庵におられた和宮が東照宮の方に移籍されることになって、一段落がついた。何かとトラブルが多かった女性方に、昭憲皇太后も含めて少しずつ落ち着きが出てきて、天皇家周辺の整理が進んでいくのは喜ばしいことであった。
 そうした動きの中で、上野の東照宮に御祭神のお一方であられる吉宗公が、初めてエネルギー状態でお降りになられた。彼はそれまでの仕組みではアーサー王グループの一員として、宇宙レベルで大活躍をしておられたが、仕組みが一段落してからは、ほとんど表舞台に立たれることがなかった。この時もただお降りになったというだけで、目立った働きをされたわけではなかったけれども、珍しい事としてスポットが当たっていた。
 そして第十一回目の七月三十日は、明治天皇百年祭の当日であった。とりあえず佐田も参加させていただこうということで、出かけて行ったが、儀式が厳かに執り行われている中で、仕組み事も静かに進行し続けていることが確認できた。どちらの立場も穏やかに治まるようにと祈ってきたが、新旧のにらみ合いは依然として続いているようでもあった。

 公武合体第二幕の異次元革命は、ここで一段落ということにさせていただく。続きは次の小説が終るまで待ってもらわなくてはならない。

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