月〜金曜日   密林の陰から
P2 平成23年12月19日(月)〜

 最初に外国の女性と遊んだのは、道頓堀にあるラブホテルで、イタリア人の若くて白い女性だった。小柄なタイプで、日本語も話せたので、あまり違和感を感じなくてすんだ。外国の女性に対しては、慣れるまでは多少の恐怖感が常に伴っていた。知らない女性と遊ぶということには、それなりに日本の女性でも緊張感はあったが、恐怖感までは自覚できてはいなかった。しかし、自分より一回りも若い外国の娼婦と遊ぶときに、恐怖を感じるということは、もしかしたら僕には外国に対しての恐怖感が潜在的にあるのかもしれなかった。
 外国人に対するコンプレックスがあってのことなのか、外国へ出られない何かがそうさせるのか、とにかくその恐怖感を克服するためには、相手を娼婦と見下さなければならない自分の弱さがあった。しかし数がだんだん増え、慣れてくるにしたがって、ほとんどの若い女性が日本語を話すし、場合によっては三か国語も話す女性と遊んだりすると、もう相手を娼婦などとはとても考えられなくなってしまった。しかもけっこうな美人が多いのである。
 それはもはや日本感覚としては才色兼備といった範疇に入るわけで、たとえば話し好きな女性だったりする場合は、日本くんだりまで流れて来なければならない事情が垣間見えたりすると、その人生に対して敬意を表さなければならなくなったりしてしまう。もっともうっとりと見とれてしまうような美人の場合、それは地ではなく、作られたものであることがわかってしまうこともあった。なぜなら美しいことをほめ過ぎたりすると、相手があくびを噛み殺してシラケてしまったりするため、なるほどと考え直さなければならなくなったりもしたからだ。
 マリーに会ったのはそんな頃のことだった。彼女はパナマ人であったが、白い女性だった。現地系の血が混じっているようには見えない、欧米の白人と変らない容姿をしていた。日本人向けに選ばれて来るのだろうか、と思いたくなるような感じの女性で、日本語も普通の会話には不自由しなかった。  最初にマリーと会ったときは、もちろん道頓堀のラブホテルだったけれども、彼女が休みの日には東京の友達のところに遊びに行くので、そちらでも会いたいと言ったため、いくら金のためとはいえ、女にもてないしがない自分が誘われたということで、ものすごくいい気持ちになって二つ返事で受け入れたことから、変な関係が生まれることになってしまったのだった。
 週一回は休みがあるので毎週会う約束をさせられて、ちょっと金に自信がなくなったため、旅行を取り止めて残業を増やさなければならなかった。そうまでしてマリーとの関係を続けたのは、彼女にはほかの女にはない何かがあったからだった。それは日本の女の子にはないものなので、外国人であることが関係していたことは間違いない。しかし、いろいろな国のいろいろな女性と遊ぶということは、ある意味では外国へ出掛けて遊んでいるのと変らないものがあるわけで、それがカタルシスに当然なっていた。
 けれどもマリーの場合はそれとは別のもので、彼女と会うと中南米の異次元の情報が流れ込んで来たのだ。だからといって僕には霊感などあったわけではなく、ただの普通の人間でしかなかったのだけれども、何かしら霊的なものがからんでいるような感じにさせられていったのだった。最初はこちらを誘う女の思いしか感じられなかった。まだうぶだった僕はそれがうれしくて、誘われるままに出掛けていったのだった。
 あるとき口がすべって、会社の同僚についうっかりとそのことをしゃべってしまった。自分が女にもてないうらびれた中年と見下げられ続けていたことが下地にあって、それを見返してやりたい思いもあったのだろう。しゃべってしまってからすぐ後悔することになったのだが、そのときはもう遅かった。同僚は感嘆するかと思いきや、見下げ果てたやつ、とさも軽蔑するように言い返してきたので、しまったと思ったのだが、出てしまったあとはもうどうすることも出来なかった。

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