月〜金曜日   短編小説「ネヴァ川のほとりで」
P1 平成23年8月17日(水)〜

 日本の飛行機で帰りたいと言ったのはアンナの方だった。ロシアの飛行機の場合はテロにねらわれて危ないからというのがその理由だった。ロシアでは外国機の方が安全というわけで、結局日本航空モスクワ行き直行便に乗ったのだった。そしてモスクワでの三日の滞在を三剣(ミツルギ)は終えていた。
 四日目の朝ホテルで待っていると、アンナは約束通りホテルまで来てくれた。モスクワでの滞在を終えて、サンクトペテルブルグへ行くことになっていたからだった。アンナは日本語がうまかった。自称22才の若い娘だったが、かなりレベルの高い会話をすることができた。彼女は日本で日本語の勉強をしていたが、滞在期限が切れたので、一時帰国しなくてはならなかった。そのついでにロシアのガイドを頼むと、彼女は快く引き受けてくれた。
 アンナは日本ではマリアと名乗っていたが、三剣が彼女に特別の興味を持ったのは、彼女の右の肩甲骨のところに天使の入れ墨があったからだった。天使が堕ちて人間になったと言わんばかりだったが、残念ながらその入れ墨はあまりいい出来ではなかった。未完成ということなら納得もいくが、完成されていたものが消されていく感じのものでもなかった。彫師が素人だったのではないかと思われるような出来映えだった。
 そのことだけならそれほど気にすることもなかったのだけれども、彼女はミタマが開いていたのである。ミタマが開くということは、神界領域に深く入り込まなければ理解できない専門用語であるが、人間の魂が神に向かって進化しようとしている状態のことを言っているのである。三剣はロシアの若い女の子のミタマが開くということは、珍しいことではないかと以前は考えていた。ところが必ずしもそうではないということが、ロシアの若い女の子との付き合いが多くなってきてからわかってきた。
 それはソ連が崩壊したことが原因ではないかと思われた。というのもソ連の旧支配層の子女というレベルの高い女性が流れて来ているように思われたからだった。ただ単に姿形が良いというだけではなく、知的な質のレベルも高い者が多かった。しかもソビエト時代はキリスト教が封殺されていた時代であり、宗教的にはおそらく旧来の自然神的土着の信仰に姿を変えていたのではないかとも思われた。というのもロシアとなってキリスト教が復活し、キリスト教徒として復帰している女性には、ミタマの開いている者はほとんどいなかったからである。
 アンナはキリスト教徒ではなかったけれども、宗教的な家族環境で育てられてはいた。普通なら彼女は日本にやって来て、日本語を勉強したりなどしていなかったに違いない。しかし、彼女は何かで若い女の過ちを犯していた。そのために家族に顔向けできない借金をかかえており、祖母に穴埋めしてもらっているらしかった。しかしそれでも十分ではなく、身を売るハメに陥ったということらしかった。このことは私が彼女から聞き出したことでは必ずしもなかった。
 ミタマが開いていることに興味を持った彼が、異次元に確認をとって調べたものだった。彼女にはウラル系の神が付いていたし、先祖も対応していた。驚いたことに彼女の先祖にはSVR〔旧ソ連国家保安委員会(KGB)対外情報部門の後継機関〕の超能力者がいたし、今のロシア政府でもそちらの部局の秘密諜報員がいたのである。三剣がそうした能力を持っており、神界を中心にしたものではあっても、そうした領域での調査をすることができることがわかると、警戒しながらも少しずつさしさわりのない情報を出してくれたのだった。
 もっともそれがまともな情報だったかどうかは必ずしも定かではない。相手が相手だし、部局が部局だったからである。しかし彼はそうした情報を、アンナに直接ぶつけて確認してみることもあった。彼女は最初は目を驚きでいっぱいにして彼を見返してきた。そしてしばらくは彼を警戒して、それまでのような素直な対応はしなくなった。しかし、そうした付き合いが続くうちに、逆な反応が現れるようになっていった。そして、彼をロシアに連れて行くことに同意するまでに関係が深まることになったのだった。

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