金曜日   仕組み小説第三部「光を求めて」
8 P62 平成25年9月5日(木)〜

 それからまもなくして会長は亡くなった。会は息子に引き継がれていったが、弓彦はそちらにはなじめなかったので、自然退会とでもいうような中途半端な状態で、会の行事には参加しなくなっていった。葉子も同じ考えであったけれども、夫が残る意思を変えなかったため、彼女も在籍してはいたが、会に出る回数は減っていた。彼女には鎮夫との間に男の子が生まれており、家庭生活の方に重心が移っていたからでもあった。
 会長が亡くなると、弓彦の精神はまた混沌とした闇の中で迷い始めた。会長が彼の精神をつなぎとめていたとしか思えない状況が現れており、それほどの影響力があったのかと改めて考え直さなくてはならなくなっていた。そして迷い始めた闇の中から、再び哲が現れ始めたのであった。研究会に在籍している間、哲はほとんど現れることがなかった。それが何を意味していたのかはわからなかったけれども、不思議なことであると分析してみることはあったのである。昇のもとにも現れなくなっていたからであった。久しぶりに哲が弓彦に接触してきたとき、いくらか意識の交流ができるようになっていた。
『哲か?』
『やっとここまできたか、長かったな』
『あの研究会はやはり無駄ではなかったということか』
『そうだろうか』
『どこにいるんだ?』
『それがよくわからない』
『何をしているんだ?』
『それが思うようにいかなくて困っている』
『どういうことだ? 邪魔が入るな。聞こえなくなった。ちゃんと回路を固定することはできないんだろうか』
 これっきりか? たったこれだけで終わりか? どうしてだ? 哲、いるんだろう? どうなっているんだ? 何が足らないんだ? 何がいけないんだ?どうすればいいんだろう。まだ駄目なのか。この邪魔は会長がらみ、研究会がらみではないな。もっと別のものの感じだが。どちらかと言うと前の仏教の感じだぞ。やはり哲のからみか。哲に何か問題があるということなのかなあ。どうすればいいんだろう、何をすればいいんだろう、少しは前進したんだからこのまま続けていけばいいと言うことにはなるんだろうが、あまりにも手がかりがなさ過ぎるな。
 哲との回路は簡単にはつながらなかったが、そこには弓彦にとっての根幹的な何かがあるように思われた。死を境にしてつながっている両者の関係は、切ろうにも切れないほどのものがあったのだろう。薄れることはあっても無くなることのない関係、奥の深い関係、底が見えないほどの縁、そうした何かがあるとしか思えなかった。その哲との回路をどうしてつなげばいいのかが、その時から弓彦の課題になっていったのであるが、それは思った以上に難しかった。一度つながったからすぐまたつなぐことができるという考え方は間違っていて、再開することは容易なことではなかった。
 そうして時は過ぎていった。研究会で求道の修行をしたことは、弓彦に予想以上の影響を与えていた。哲による仏教感覚がよみがえってきても、神道感覚が消えずに残ったし、単独で滝の修行ができるようになっていた。その自覚が強まったとき、彼は家族を滝行に連れ出そうと試みた。しかし、紀子は嫌がったし、ゆみこも乗ってはこなかった。ゆみこは完全に感覚が普通になっていたが、昇の異次元感覚は消えずに残った。そちらに拒絶感がなかったので、弓彦は彼を滝に連れ出して一緒に入った。研究会でトレーニングしたことは、正常な感覚を維持しようとする弓彦に、それを可能にするだけの調整能力を育成させていた。
 それでも迷い迷ってやっと弓彦が手がかりをつかんだのは、それからまた数年が過ぎていた。哲はときどき彼の意識に触れてきていたが、お互いが戸惑うばかりで、その難局を打開する手がかりすら見つからなかった。そうした弓彦に確信を抱かせる機会が訪れたのは、彼が都市の大きな書店で自費出版の一冊の本を手にした時だった。『子神たち』という簡素な本だった。佐田靖治という著者の名前は、天谷鎮夫から聞かされていたものであり、研究会の会長が命名したものであるということだった。

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