金曜日   仕組み小説第三部「光を求めて」
8 P63 平成25年9月12日(木)〜

 何だろうこの感覚は。ブルブル震えがくるほどのこの感動は、いったい何なんだろう。これだという感じ、こんな粗末な素人っぽいものがどうしてこんな感動を呼び起こすんだろう? これは小説か? 小説形式になってはいるが、たぶん本物だぞこれは。やめよう、立ち読みすることはやめて、家に帰ってからゆっくりじっくり読んだ方がいい。こんな本はめったにあるもんじゃないからな。わくわくするこの感じ、読書の極みのようなこの感じ、楽しみだなあこれは。ここには何かがある、きっとある。
 運命の出会いはそうして始まったのであった。焦る気持ちを抑えて急いで家に帰り、本を読み始めたとき、彼の思いは確信に変わっていた。彼が長い間探し求めていたものがそこにあったからだった。彼は深い感動と躍動する生命エネルギーの中で本を読み進めていった。そして読み終わるまで本は彼の期待を裏切らなかった。それは異次元私小説とでも言うような、著者夫妻と異次元の子神たちとの交流が描かれた不思議な本だった。子供との異次元調整に苦労してきた弓彦にとって、それはとても好ましく楽しいものだった。
 これだ、これなんだ。あったんだ、やっぱりあったんだ。ようやく巡り合えた。やっと見つかった。探し続けてきて良かった。もうほとんど諦めかかっていたんだぞ。投げ出していたら見つからなかったかもしれないなあ。自費出版でたまたまあの書店に置いてあっただけのものだからなあ。運が良かったんだ。なんとなくあの書店が気になったんだよな。普段は行かないんだから。しかし長かったなあ。
 その本を読んで弓彦の感覚は落ち着き始めていた。精神の乱れや苛立ちが消えていったし、哲との間にも新局面が生まれかかっていた。それは不思議な現象で、弓彦の落ち着きは哲にも及んでいくように思われた。ところが妻の紀子に変な反応が現れ始めた。母親に同調するゆみこと父親と波長が合う昇、表向き何の出来事があったわけでもないのに、微妙に家族関係が変化していったのであった。それは世間一般の乱れだったのかもしれない。しかし弓彦にはそれが『子神たち』の本から来ていることがわかっていた。
 すごい影響力だなあ。こんなことってあるんだろうか? それにしてもこれは何だろうか? 研究会の会長の役目を引き継いでいることは間違いない。息子ではなく、ここにある。間違いなくここにある、もっと明確な形で表現されている。その満足感なんだなこれは。会長は匂わせるだけで、何も確かなものを示してはいなかった。その不満と苛立ちがあったけど、それがどうだ、この明確さは。そのものずばりだろうこれは。「仕組み」と言うわけだ。これなんだな俺が探していたのは。
 それからがまた大変だった。弓彦が本の著者に会うまでには、それからまた二年ほどが必要だったからである。彼は何度も著者に電話をしようか、それとも手紙を書こうか、と思い悩んだ。ところがどうしてもそれをすることができなかった。何かがそうすることを止めたからだった。それが何であるかはわからなかったけれども、今はまだ時期ではないという思いがするのだった。その思いを押しのけて強行しようとしても、どうしてもできなかった。
 時が来るまで彼は待ち続けたが、ただ待っていただけではなかった。哲との回路が開けてきたからだった。しかし、簡単に交流できたわけではなかった。弓彦は哲を探し続けていたが、なかなか探し当てることができなかった。哲の方も弓彦に繋がろうとして努力していたらしいが、繋がるためには死ぬほど苦労しなければならないらしかった。そして、繋がってもあまり長くは続かなかった。すぐに邪魔が入ってしまうし、肝心な所にくると遮断されてしまうからだった。そして、その後から呪いや祟りや殺しのエネルギーが押し寄せて来るのだった。
 苦しいなあ。これはいったい何なんだろう? いったいどうなっているんだ?自分が悪いんだろうか、それとも哲に問題があるからだろうか? うっとうしいったらありゃしない。滝に入れば禊げるけど、簡単に行ける場所じゃないしなあ。水行するのもめんどうくさいし、瞑想ばかりじゃ時間がかかり過ぎる。仕事なんかできやしない。いったいどうすればいいんだろう? 会いたいなあ。あの著者に会えないのかなあ。何で駄目なんだろう?

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