金曜日   仕組み小説第二部「再出発」
P9 平成23年3月25日(金)

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 彼岸の岬に着いたとき、野口葉子は哲の火定の跡へは行こうとしなかった。影山弓彦はそのことをとがめたわけではなかったが、露骨に不快感を顔に現した。弓彦にとって岩間哲の火定の跡は神聖な場所であり、その特別な意味のある聖なる地へ妹の紀子を連れてきたのは、彼女が彼らの行為に感化を受けて同調している部分があったからだった。彼女がただ単なる兄に対する義理とか、弓彦に対する感情だけで動いていたとすれば、弓彦は紀子を彼岸の岬に連れ出すことはなかっただろう。
 彼岸の岬は青空が広がっていた。深く濃い空は水平線と接合してもその色を変えず、空と海の区別がつかないほどだった。雲ひとつなく晴れ渡った空には赤とんぼが舞い、風のない穏やかな海面では漣のように波立つ場所があって、その上空でかもめが群れ飛んでいた。ピクニック日和のこの海岸は人里を離れた人目につかない領域で、それほど広々とした環境ではなかったが、岩場で囲われた風景に適度な景観があるために、ピクニック気分を満喫させるには十分な要素も備えていた。
 葉子はそのことに満足した歓声をあげて二人から離れ、自分だけでピクニックの場所を探しに行ってしまったのだった。
「あちらで待っているから。場所を確保しておくから早めに来て」
「しょうがないな。誰もいやしないじゃないか」
 弓彦はあきらめ顔で言うと、紀子をうながして火定の場所へ向かった。
「もう少し向こうの方です」
 緊張感で身を固くしている感じの紀子は注意深く足を運んでいたが、岩の突起でバランスを失って弓彦の左腕にすがりついた。彼は彼女の手を取って目的の場所まで導いていった。
 火定の跡はまだ火で焼かれた黒い模様が残っていた。その焼け跡を見たとき、弓彦の脳裏に哲の死体を処理した一連の行為が鮮やかによみがえった。彼は苦痛に歪む顔を紀子に見せないように、しばらく海に向かって立っていた。紀子に対しては、ここがそうだというように指差しただけで、何も言わなかった。紀子は黙って焼け跡を眺めていたが、弓彦が自分から離れるように岸壁の方へ行ってしまったので、手提げから用意してきた線香の束を五つ取り出して火をつけ、それを火定の跡の周囲に置いた。そして海に向かう形でひざまずくと、目を閉じて祈り始めた。

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