月曜日   第三期の仕組みの前段階  
  P9 平成17年11月28日(月)  

   仏界コースの難しさは、仏教が僧、つまり賢者の道を説くことで成立しているところにある。そのことはキリスト教でも同様のことが言えるように思われる。植物コースの進化の過程で神が隠され、それが天使や聖人聖者にすり代えられてしまって、人間がたどる道筋になってしまっている。そして行き着く先が、天国というどこにあるのかわからないような仮想世界になってしまっている。
 仏教の場合も、仏界はくわしく説かれていても、そこには如来という仏、つまり賢者ロボットが奉られていて、真の表現体の住む世界は語られてはいない。動物コースの進化の正しい姿である天部の神々は、賢者に使役されるだけの存在でしかないようにも見える。それはこの宇宙が結局は機械体制であるからで、宇宙を支配し管理する機械体制を作り上げた人間の科学者が、尊重され過ぎるところからくる間違いにほかならない。
 このことの解明を進めて行った結果、筆者は仏教の開祖釈迦如来とは激しく敵対する関係となり、かなり苦しめられたが、その打破には成功している。仏教徒は信じないかもしれないが、釈迦如来も最後には背後の機械体制の呪縛をほどいて宇宙の上へと抜け出してはいかれたが、太陽系には釈迦如来は今でもいることになっている。しかし、それは機械妖怪の偽物であるにすぎない。そんなふうに機械体制というものはおぞましいものなのである。
 仏教が説く無とは、ドス黒い機械ヘドロであるにすぎず、そこに入り込む仏、つまり如来は機械体制に溶け込む存在でしかないことになる。おぞましい話ではあるが、釈迦如来も魔神仏界の堕落ヘドロの中にどっぷり引きずり込まれて、そこから出ることができず、機械に操られる形でこちらに激しい攻撃を仕掛け続けておられた。レベルの高い賢者は自分の身体を機械ロボットに取り代えるため、逆に機械の奴隷と化すことになってしまうのである。
 そうした背景の中で仏界コースの戸田城聖師は、動物コースの本道を仏界内で説き出された。その苦しさは 創価学会と出身母体である日蓮宗の責めぎ合いでもうかがえるけれども、仏ではなく神への道を進みながらも、仏界コースを離れられないところにもあると思われる。仕組みを担わなければならない立場としては、仏界コースから正しい進化の道筋を説くしかないからである。
 その件に関しては、筆者が戸田師と意識交流をさせていただいた初期の頃に、戸田師の熱い思いに触れて知らされたことがあった。師は仏界を離れて神界に入りたいと訴えておられた。そして、神界に入る資格を得ておられるので、神界に入りびたっておられたようであるが、仕組みが第二期に入って展開するにつれて、仏界コースの先導役としての責任を担って止むなく仏界に戻り、今では熱い情熱をもって仕組みに取り組んでおられる。
 その戸田師をねらって、五女体制の機械妖怪が激しく襲いかかっている、と思われる。それは我々の物質レベルでも同様で、仏教の背後からのゴミ五女体制の操作で動く仏教集団の僧侶たち、つまり賢者グループの創価学会攻撃からもうかがえることではある。負けずにがんばっていただきたいと願わずにはいられない。
 
 
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