水曜日   エピソード(異次元の諸相)  
  P2 平成20年7月2日(水)  

  「源氏物語」の作者である紫式部という方は、日本が誇る平安朝文化の華であるが、この方は今現在は平安神宮の霊界次元におられるようである。平安時代当時、日本にはまだ霊界という次元はなかったと聞いているので、後に霊界次元に移された、ということになるのであろうか。
 日本の平安朝文化というものは、当時の日本では考えられないくらいレベルの高いものであって、その背景にバビロニアの古代超文明をつながないと、正確には理解できない。もちろんこうしたことは筆者の独断でしかなく、一般的には受け入れられるはずもないが、仕組みが世界から日本へと移行してくる過程での興味深い問題ではある。
 木星降下の古代科学者の流れをくむ賢者グループが、仕組みがらみの平安朝グループの中に入って、独特の文化を作り上げた。人類の進化のレベルがかなり高まってきた時代においての寄生であったことと、木星降下組の方も物質化が進行し続けていたため、世界の古代文明のようなズレは感じられない。
 しかし、平安朝文化は異星人文化と言ってもいいかもしれない感じのものである。そうしたレベルの高い先祖方であるとするならば、人類進化の道筋などは軽くこなして、今では宇宙高く昇って神々として活躍していてもおかしくないはずである。ところが平安朝の高名な文化人方のほとんどは、まだ日本の各地に残っておられ、今でも週二回ほどは歌会などで楽しんでおられるとのことである。
 ということは生命進化のない人形として温存されている、ということになるわけで、後世の我々にとっては、その方が親しみ深くていいことになるのかもしれない。人間賢者がからんだこともあってか、当時の文化人の方々は、人間のままでおられる方々がほとんどのようである。そこらあたりが仕組みから見ると、問題とならざるをえないのではあるけれども……。
 こうした問題は、仕組み的に生命進化の道筋を厳密に果たした方がいいのか、先祖を人形として祭り上げておく方がいいのか、後世の我々にとって判断は難しい。旧体制というものがしつこく旧世界を復元再生をし続けてやまない、その流れの中だけで生き続けることがいいことかどうか、あるいはそれしか生きようがないのか、そこらあたりになると、現時点の仕組みでも解決はできないし、解釈も難しくなってくる。
 
 
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