月〜金曜日  異世界と先祖
平成23年7月28日(木)〜

 村中城の前の前に卑弥呼の一族が吉野ヶ里にあり、それよりもっと前の弥生、さらに前の縄文ということになるのであろうが、その頃に既に仕組みがあり、そのための神々があったことがうかがえるようなお話であった。もっとも当事者の彼らの仕組みはスセリヒメの仕組みであって、卑弥呼のような女の祈祷師が先導役として、村の祭祀を司っていたのだろうと思われる。
 結局佐嘉神社におられる佐賀城の最初の殿様は、正式な殿様ではなかったけれども、そこにはそれなりの立場があるのではないかと考えている。縄文系のご先祖方は、日本各地に思いがけないほど残っていて、外来種との間で今でも争いごとを続けたりしている地域もある。後続人種と混ざり合って、平穏な地域になっている所も多いが、まだまだ日本各地には、かなり純度の高い六大民族が残っている。
 鍋島の殿様がなぜ先住民の村主を残しておられるのかわからないけれども、ご祭神を差し置いてのさばるようにお出ましになるのも、どこか変である。私の前にご祭神のお二方はほとんどお出ましになられたことがない。ところがこうして約束を果たそうとして書き始めてみると、今度は神社から追い出されてしまっておられる。ご祭神が追い出したということではないとのことであるけれども。
 戦国時代の龍造寺氏は別として、この地には常に地元の方がその地域を司っておられ、縄文の殿様もその地の村主であられたということで、今の神社の鍋島の殿方も無視できないということであったらしい。こうした文章を書くことを旧体制は嫌っていて、それで追い出しているということらしいが、まだ終わってはいないというように、ご先祖神は帰ろうとなされる。
 今こうして確認しながら書いていると、帰りやすくなるらしく、開ける星から降りてみえるのだという。宇宙に上げられても居場所がないということを言われるが、そんな言い方をしてまで現地に残ろうとされるのは、お人形グループしかないのではないだろうか。だいたいお人形方は、現地に残ることを良しとしておられる方々が多いので、当然のことではあろうが、それにしても旧体制の嫌がらせは度を超している。
 ここのご先祖神は、佐賀地方の民を常に気遣っておられる方で、佐賀の地が豊かに穏やかに潤っているのは、そうしたご賢明な方々の努力があってのことなのだろう、といつもお話していたものであった。もっとも機械文明が発展している今となっては、豊かな田園地帯だけでは物足らなくなるかもしれないけれども。
 佐賀の縄文系の殿様はオオクニヌシ大神であられる。初めから神界の神ということでお出ましになられていたが、普通武家の殿様神はたいがい仏界神であられるなかで、堂々と神界の神であられることが珍しくて、それでそのことを真っ先に取り上げたいと考えて、その許可もいただき、準備していたのであるが、どうしても書くことができない。後回し、後回しと巡ってやっとここまで来たのであるが、その間に本物の神界の神であるのかどうか、何度も確認し続けていくうちに、完全な神界の神ではない、という情報が出始めた。
 なんだか変だと思いながら改めて確認してみると、やはりかっての方は縄文の人形神であられたのではないか、と思われ始めた。というのは今は宇宙に追い出されて皆と同じようなまともなこともしておられるが、その神と比較すると、縄文の神の場合はやはり本物の神ではないようなのである。

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