月〜金曜日  異世界と先祖
平成23年7月11日(月)〜

 幕末明治の変遷の陰には、天皇家と幕府の間で日本の命運をかけた出来事があったわけであるが、徳川家の間でもそこらあたりでいろいろな確執があったことになっている。特に最後の将軍の徳川慶喜公は水戸の出なので、天皇家がからんだ神社庁神社行の仕組み事でのご参拝に関しては、その前の段階から変な動きが出ていた。
 私は水戸が好きなので、ときどき遊びに行くこともあったが、あるときから「来るな」と激しく止められたことがある。以前は神社や水戸家の方々ともいい関係があったと考えていたので、突然の変化に戸惑ってしまって、そのことを家康公に訴えたことがある。すると家康公は光圀公をはじめとした神社の方々を呼びつけて、激しくお叱りになられた。ところが水戸側に何の反応もなく、むしろ反発する動きがあったらしく、家康公の方が引っ込んでしまわれた。
 何か変だと思いつつ、その後も拒絶されるので、困り果てていたのであるが、神社庁神社の仕組み事となると別なので、こちらも強行突破して出掛けたのであった。
 仕組みがらみで出掛ける場合は、どの土地や神社も拒絶することは出来ないので、それほどの反発は感じられないけれども、私的な旅や滞在に関しては、変な反発が起こる場合がある。もっとも私は旅をしながら小説を書くことにしているので、その目的だけで出掛けることもある。
 それは色地獄三派の課題がらみとなっているので、必ずしも私的な旅行ではないのだけれども、水戸の場合はそのための滞在に関しては、激しく拒絶してきたのであった。去年のことで、何度か計画を立てたのであるが、その都度拒絶されるので、おかしいと思って徳川家康神と接触しているときに、そのことをちょっとお話したのであった。
 すると徳川吉宗公を叱りつけるのと同じような感じで、水戸光圀公を呼びつけてお叱りになられたのであるが、その時の光圀公は、今から考えれば偽物にすり替えられた方であったので、まともな反応はなく、かえって反発されたというようなことを言っておられた。変だなとそのときはそのままにしていたのであるが、大震災の後に出掛けたときにそこらあたりの事情が判明したのであった。
 もともとの水戸光圀公や側近の方々は、妖怪に追われて宇宙に上がっておられたらしかった。お人形の先祖方は太陽系の現場に残っておられることが多く、よほどのことがないと宇宙へ上がってしまうことはないはずであるが、神社や地元のどこにもおられないので探してみたところ、宇宙の方へ追われてしまっておられたのであった。
 あれほどの有名な方々は、簡単には宇宙に上がることなど出来にくくなり、上がってもすぐ降ろされてしまうのが常であるが、そのときの神社は偽の水戸光圀グループに占拠されているという、なんともだらしのない形が出来上がっていたのだった。たとえ嘘や作り物であっても、何十年もの間テレビで水戸黄門シリーズが流され続けていると、それがうれしくて居座っておられるのが一般的なのである。妖怪はそういうことが好きなので、お人形にして遊びたがる。だから追われるということが信じられなくて、仕組みに目覚められたのかと驚いたのであったが、よくよく調べてみるとそういうことでもなかった。
 水戸市は大震災でかなり街が痛んでいたが、駅の北側と南側では流入原住民族に違いがあって、大和の源氏や徳川でまとめられていた民族が、アイヌとツングースに分裂して、北と南に分かれて争いを起こしていたのであった。仕組みが進行して歪みがほどけて行くに連れて、アイヌとツングースの混合していた民族の呪縛がほどけてしまっていたのであった。

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