火曜日   異次元回廊
P102 平成25年1月29日(火)

 神田神社には平将門が祭られていて、将門神社とも言われているが、佐田がお参りするときには、なかなかお出ましいただけなかった。それは天海上人によって封じられてしまうためで、そちらの呪力がほどけるときに、ときどき接触できるだけであった。それは初めからそうであって、徳川家康調整が始まる頃になって、やっといくらか動きが出てきた経緯がある。だからここには将門神はいないのではないかと思わされるくらい、音沙汰がないのが普通であった。
 天皇家と絡めた上野東照宮の巡回行が始まってから、ときどき将門神がお出ましになり、天海封じがほどけていることを知らされていたが、それが特別のものであるとは考えていなかった。ところが先日参拝した折、将門神は前出雲系であることの感覚が突然襲ってきた。あれっと改めて振り返ってみれば、平将門の平は前出雲系であることは周知の事実であって、何を今更ということになったのであるが、前出雲系の佐田にそれは禁忌事項であったのだろう。
 神田神社が出雲大社の江戸分社であることは、仕組みから見れば当たり前のことで、それが現在の仕組みにも深くかかわっていることは、通りかかる度に意識させられることである。であるにもかかわらず、いやそれであるからこそ、オオクニヌシの仕組みの先導役である佐田は、神社にとっては鬼門とならざるをえないわけで、その駆け引きは様々な綾模様を描き続けてきていることも事実である。
 旧体制が封じ込めている神田神社と佐田は、当然対立関係となるわけであるが、逆に封じられている側が佐田と波長が合うのは、これまた当然のことなのである。ところが天皇家をはじめとして徳川家も、旧体制側で立っているわけで、なかなか神社側と正常な関係をもつことができない。ところが最近は旧体制側のやり口があまりにもひどいので、神社側が佐田につくようになってきた。天皇家が仕組みに協力し始め、徳川家康公との調整が進んでいくにつれて、そのことに変化が出始めているのである。
 神社は時代と共に変化して、旧体制も様々な工夫をこらして仕組み封じを強化し続けているが、最近は祖霊社のご先祖方が佐田に同情的であられて、こちらも心強くなってきているのはいいけれども、平将門公までがこちらになびかれたら、神社の立場は怪しくなってしまう。こちらはあまり事を荒立てたくはないので、こちらから仕掛けるようなことは最近はほとんどしなくなっているが、あちらから動きが出てくるのであれば、やらざるをえなくなってしまう。
 確かに将門公は前出雲系、佐田とは同族系ではあるが、彼はスサノヲ系でスセリヒメを埋めている側、こちらは起こす側ということで、その立場の違いが今までは際どかったのであるが、ここにきて大きな変化が現れ始めている。その背景に徳川家康問題があることを、ここで報告しなければならなくなってきているが、長くなるので次回以降に回すことにしよう。

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