月〜金曜日   公武合体終了まで
P5 平成25年7月18日(木)〜

 そうして展開していく仕組みの引継ぎの調整を佐田がすることになっていったけれども、休む暇もないその展開は、次の大宮氷川神社でも示されていて、神社の雰囲気には異変が感じられた。すぐにでもやり始めなくてはならないような切迫したものがあったため、やれるものならすぐにでも取り掛かるつもりになったのだが、八月以降にという指示は既に出されていることはいて、やろうとしても結局はさせてはもらえなかったけれども。
 六月五日は五十回の最終日であった。お礼行を二日間やれという脅迫が最終段階ではしつこくて、それに対処することでかなりの精力を費やしたけれども、結局はしないということでケリがついた。こちらに対しての見返りがまったくないからであった。佐田の仕組み行に関しては、いつでも、どんな課題でも、成果に対しての見返りがあったことがない。こんな馬鹿な仕事はないわけで、そのことを理由にしてお礼行などという無駄ははぶかせてもらったのであった。
 上野の森では百パーセントの完成度で作業は成功したし、西郷さんの女性問題も解決していた。つまり会津の問題もめでたく終了していたのであった。完了の大祝宴会は明治神宮でなされるということで、上野では次の仕組み組のメンバー方が、三組五千名ずつ押し寄せて来ているといった状況であった。公武合体組は皆で巡回行について回るといった感じで、増上寺から明治神宮、そして大宮氷川神社へと移動して行くという形は、最終段階の定型となっていた。
 増上寺では希望者による仏化、如来化調整が約束どおり行われた。参加者は日本全国から五万名ほどあったが、仏、如来になれる者は五千名ほどあって、開山さんをはじめとしてとりあえず仏化、如来化の調整がなされた。しかし仏界を支配する妖怪神との対決という問題が出現すると、仏や如来ではままならず、結局三度の処刑処罰の調整をすることで、仕組みメンバーとしての資格を確保することで、妖怪神と対決するという大活劇も演じられたのであった。そうして三度正常化したメンバー達は宇宙へと昇っていって、大宴会をするという結末を迎えたのであった。
 青竜さんは結局如来にはなれず仕舞いで終わることになったが、小便滝を嫌がって逃げ回るということもあった。弘法大師の弥勒仏化の役目もそれで終了となったが、それはそれは大変なお役目で、ともかく長い間のご苦労であったが、常に母君の監視があって、こちらとしても止めるに止められない状態で、結局最後までお付き合い願うという形になったのだった。公武合体以降の仏界調整はカショコ大神の仏教改革に託されることになっていったが、このことも思いがけない展開の一つであった。
 明治神宮ではもう大祝賀会ということで、その日は大賑わいであったが、仕組み的には既に外国調整と魔神のヒツジヒメの問題が浮き上がり始めていた。大和の天皇家はヒツジヒメ神界の担当となっていたが、本来が魔神であることもあって、宇宙の背後から魔神界のヘドロが湧いてくる状況になっていた。そのことに関しては、宇宙全体の仕組みレベルでの調整がなされ続けていて、大和のヒツジヒメ神界からは魔的なものが吹き出さないような調整もなされ続けていた。
 ともあれ宇宙の行政府の顔である日本の天皇家の仕組みがらみの問題は、そうして一段落がつけられたのであった。思いがけない展開でもあり、予想以上の成果も上がった巡回行であったけれども、日本から外国へと引き継がれていく流れに関しては、取り組み方がわからないところもあって、かなり難儀なものになるのではないかという気配もあった。日本での成功がそのまま世界に通用するようにも思えない、また行政府だけでは処理できない問題として浮かび上がり始めてもいた。
 そのことは大宮氷川神社で締めくくるにあたっても感じられたもので、仕組みの総合先導役の課題としては、年令の問題もあって、簡単にはしょいきれないものになりそうな気配があった。結局事務所を東京から埼玉に移さなければならなくなったし、光の会の月例会も皇居の隣の科学技術館から氷川神社のある大宮へと切り替えなくてはならなくなっていった。年令と共に衰えていく何ものなのか、それとももっと別の大きなも問題が隠されているのかは、今のところはわからない。

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