月〜金曜日   公武合体 第二幕 (異次元革命) 続続
P2 平成25年3月29日(金)〜

 驚いたことに彼は老大神主の分身であった。老大神主とは、過去のよその宇宙で仕組みを完成させたことのある、二組の代表を抱き合わせにした神で、仕組み潰しの強烈な戦士と言ってもいいような神であった。老大神一家を構成する元先導役の父神と、最上界の仕組みのために降りてきて潰れていた老大主大神。この神の元にはアトランティスの仕組みの先導役であったクレイトウ王妃、ムーの仕組みの先導役であったクレナモス大王など、旧体制化しているけれども栄光色に染まっている人間の先導役たちがいる。
 その両者を抱き合わせにすることは、仕組み潰しを強化するために行われる特別工作であるが、それにさらに徳川家康を抱き合わせにして、人間の仕組みにまで覆いをかける強化策が講じられていたのであった。そんなこととは露知らず、私は善的に彼をとらえて正常化のための働きを期待していたのであった。彼が正常化できないのは、陰にそんなとてつもない秘め事があったからだった。しかし公も初めはそのことを知らなかったと思われる。
 そうしたことの驚きは増上寺まで尾を引いていたが、増上寺では浄光会の行事があって本堂には入れなかった。後ろから東照宮の方まで一巡りして課題は終えたけれども、開山さん(酉誉上人)は異次元の厚いくぐもりに苛立っておられた。ほとんど何も見えなくなってしまうほどのものだったからである。
 その日は明治神宮でもくぐもりは厚く重く、旧体制の妨害や反発が強かった。そして大宮の氷川神社では、裏手にある佐田の本拠地から十手の家族達がやって来ていて、容易に収まらない家康との対決が始まったのであった。境内の天津社での訴状と明細つきの請求書は、恒例となった宇宙法廷からの使者が受け取って、すぐさま新旧両宇宙の担当者に渡されて課題は終わった。しかし、その後が大変であった。旧体制側が拡大した廃墟の膨大なヘドロを負債分として、帰り道を歩く私のリュックに流し込んできたからであった。しかしそれを浄化してしまえば、その宇宙の領域は佐田のものとしての権利が獲得できるので、それで良しとするしかなかった。
 第三十一回目の巡回行は一月三十一日のことであったが、この時の徳川家康公は二体に分離していた。老大神と老大主の分身二体であった。それは山窩のアイヌとツングースの分離であるようにも思われた。そのことは画期的なことではあったが、それだけのことでそれ以上のことはわからなかった。
 その他の公武合体関連では勝、乃木、それに白虎隊以外は対立が激化していたし、徳川家康と十手家族との対立も激化していた。その流れは二月二日の第三十二回目でも変わらなかった。大きな変化が現れたのは、二月八日の第三十三回の時であった。巡回行の中心問題とは違う、仏界領域での仕組みに劇的な動きが現れたのである。
 それは増上寺でのことであった。弘法弥勒仏の態度が悪いということで、子供たちがはげ頭に小便をひっかけることをやめないので、嫌がって逃げる弥勒仏の身体がほどけ始めた。スサノヲ(韋駄天)が現れ、その奥の本体であるコトシロヌシ(毘沙門天)までがチョロリと現れたのであった。そのことで常に見守っておられる母君など、正統派は面白がって大喜びしたのであるが、当人は喜ぶどころか大迷惑といった様子であった。
 衝撃的な変化はそのことではなく、思いがけないところから現れた。弘法弥勒仏だけではなく、他の仏方にもそうしたことが及ぶので、それがけしからんということで、佐田に批判が集まってきた。子供たちがそういうことをするのは佐田がいるときだけだということで、仏界のメンバーとの間に問答が始まったのであった。そうした批判に対して佐田は、自分は釈迦の衣鉢を押し付けられて迷惑しているので、そういうことを言うなら引き取ってもらいたい、といつものように開き直って対決することになった。
 そこから衣鉢の問題がまた論じられたのであったが、衣鉢を継ぐのは誰が正しいのかが問われることとなり、その正当性のお試しが増上寺でなされた。その結果迦葉仏の本体である仏界女神(鬼子母神系)のカショコ大神が引き継ぐのが正しい、という驚くべき展開となっていったのであった。釈迦のイザナギ仏界神行と共に、母神イザナミ仏界神行を努めなくてはならない女神迦葉に、仏教改革の衣鉢が渡されることになっていった経緯は、別のところ(異次元回廊、光の会のカショコ神行)で解説しておいたし、その後の仏界神行の進行と確認のお言葉も報告しているので、そちらを参照してもらうこととして、ここではそうした経緯があったということだけを記しておく。

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